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齋藤秀雄メモリアル基金賞

第4回 齋藤秀雄メモリアル基金賞

第4回 齋藤秀雄メモリアル基金賞

2005年12月13日 東京にて行われた贈賞式
左より大賀典雄、アラン・ギルバート、工藤すみれ、堤剛の各氏

財団法人ソニー音楽芸術振興会(英文名称:Sony Music Foundation)[理事長:大賀 典雄]は、2002年(平成14年)に、若手チェリスト、指揮者を顕彰すべく「齋藤秀雄メモリアル基金賞」を創設しました。
この度、選考委員会において審議の結果、顕彰年の前年(1月1日から12月31日まで)に活躍された指揮者として、第4回(2004年度)受賞者をアラン・ギルバート氏(指揮部門)、工藤 すみれ氏(チェロ部門)に決定しました。

受賞者

工藤すみれ(チェロ)
アラン・ギルバート(指揮)

選考委員

<委員長>
大賀典雄(指揮者・ソニー株式会社名誉会長・財団法人ソニー音楽芸術振興会理事長)

<委員>
小澤征爾 氏(指揮者)
堤 剛 氏(チェリスト)

●楯
●賞金 当該年毎に1人500万円(総額1,000万円)

贈賞の言葉

  • 工藤すみれ氏への贈賞にあたり
    堤 剛

    工藤さんは故 井上頼豊先生がその才能を早くから見出され、手塩にかけて育て上げられた逸材です。豊かな音楽性に恵まれ、しかもお父上がチェリストという理想的な環境のもとで、スクスクとその才能を伸ばしてこられました。桐朋学園在学中から彼女の卓越し、個性的な演奏が広く注目され、ソリストとして演奏活動を始められました。すみれさんという可愛い名前にも関わらずその演奏は男性顔負け的な処があり、音そのものも骨太でたくましいものです。恵まれたキャリアを歩んでおられましたが彼女の偉い処はそれにあきたらずに新たなる挑戦を求め、自分をより大きく磨くためにニューヨークのジュリアード音楽院に留学されたこの意志の強さです。彼地でソロのレパートリーだけでなく、室内楽の研鑽をも積まれ、音楽家としてより大きな成長をとげられました。現在はアバロン弦楽四重奏団のメンバーとしての演奏活動のみでなく、ソロ活動そしてインディアナ大学での教授活動と真に多忙な生活を送っておられます。帰国される度にその演奏に深味と洗練さが加わってきているのがはっきりと認められ、私もとても嬉しく思っております。これからがますます楽しみな、期待されるヤングアーティストとして独自の道を切り開いていかれている工藤さんはこの賞を受けるのに真にふさわしい方だと思います。

  • アラン・ギルバート氏への贈賞にあたり
    小澤征爾

    アラン・ギルバート氏は、私が将来を期待する若手指揮者の一人です。現在は、サンタ・フェ・オペラやハンブルク北ドイツ放送交響楽団での活躍をはじめ、世界各地のオーケストラから高い評価を得ています。また、今年の春には、「東京のオペラの森」の第1回のオーケストラ指揮者として招きました。彼には、R・シュトラウスのプログラムを振ってもらい、大きな成功を収め、私や、オーケストラの期待にこたえてくれました。
    アラン・ギルバード氏が、第4回齋藤秀雄メモリアル基金賞にふさわしく、この受賞を期に、今後も更に大きな成長を目指して活躍を続けていくことを期待しております。

受賞の言葉

  • 工藤すみれ(チェロ)

    この度、私は権威ある齋藤秀雄メモリアル基金賞をお受けすることになり、とても光栄に思います。

    私は幼い頃から齋藤秀雄先生ゆかりの桐朋学園で教育を受けました。オーケストラや室内楽の授業では、常に諸先生方から熱意ある言葉で、齋藤先生の音楽に対する情熱と姿勢を伝授されました。特に、奥滋賀における「若い人のためのサイトウ・キネン室内楽勉強会」では、私はチャイコフスキーやバルトークのアンサンブルを直接小澤氏から学び、齋藤先生から実際に教えを受けたような感銘を受けました。それは、今の私の音楽家としての出発点になったと確信しています。

    現在私は、アヴァロン弦楽四重奏団と現代音楽グループcounter)inductionのメンバーとして、アメリカを拠点に、ヨーロッパ、アジアでも音楽活動をしています。特に日本では大勢の方々に、演奏会、CD発売にあたってご支援をいただき、大変感謝しています。これからは、クラシック音楽はもとより、現代音楽でも日本の音楽界に少しでも貢献できるよう、精進していきたいと思っています。

  • アラン・ギルバート(指揮)

    I am greatly honored to have been selected to receive the Hideo Saito Memorial Fund Award.
    I am well aware of the enormous importance Professor Saito had on music and conducting not only in Japan, but also around the world. Both my parents had the good fortune to work directly with Professor Saito, and I feel that indirectly he has been a major influence on my musical development. So it is even more special to have this recognition.

    齋藤秀雄メモリアル基金賞をいただき、大変光栄に思っております。
    齋藤先生が、日本のみならず世界の音楽と指揮の発展に残された偉大な功績を、私もよく存じております。私の両親は幸運にも、齋藤先生と演奏をしておりましたので、私の音楽的な成長においても自ずと先生の影響が大きかったと感じています。そのため、このような評価をいただき、格別な思いでおります。

プロフィール

  • 工藤すみれ(チェロ)

    東京生まれ。4歳より父に、6歳より井上頼豊氏に師事、毛利伯郎氏、デイヴィッド・フィンケル氏、室内楽を原田幸一郎氏に師事。桐朋学園子供のための音楽教室、桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学ソリスト・ディプロマ・コースに在学。2000年9月より、ジュリアード音楽院に留学、ハーヴィー・シャピーロ氏に師事。2001年より、アヴァロン弦楽四重奏団のチェロ奏者に抜擢され、アメリカのみならずヨーロッパでも国際的な活動を行い、高く評価されている。

    1992年札幌ジュニア・チェロ・コンクールで優秀賞、1993年6月入野義朗音楽研究所のオーディションにより、ドイツ・ノルトライン・ウエストファーレン州音楽庁の招きを受け、ユーゲント・ムジツィールトのフェスティバル(於:家ルナーホール)に出演。その後ドイツ各地で演奏。その秋第62回日本音楽コンクール第2位。長野-アスペン音楽祭に参加、スカラシップを得て翌年アメリカ・アスペン音楽祭に参加。エマーソン弦楽四重奏団のデイヴィッド・フィンケル氏の推薦を受け、1995年より毎年サンタ・フェ、ラ・ホヤ両音楽祭に招かれ、多くのアーティストと共演。1997年4月、大垣音楽祭において最優秀新人賞受賞。5月、ヴィオラ・スペースにおいて今井信子氏と共演。10月にはカザルスホールのチェロ連続演奏会の初日に出演、「物怖じせず、目的意識を高く掲げながら天与の歌心を披露」、「公演を重ねる毎に、芸格を着実に高めている」と絶賛される。

    1997年1月、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ氏の公開レッスンを受講。1998年には5月にG・ボッセ氏指揮新日本フィルハーモニー交響楽団とハイドンのチェロ協奏曲第2番を共演、6月にはフィリアホール「女神との出会い」シリーズ、11月には川口リリアホール「ジュネス・コンサート」に出演。1999年2月岡山フィル定期演奏会でエルガーのチェロ協奏曲を、10月京都市響楽団定期演奏会でチャイコフスキーのロココ・ヴァリエイションを共演、いずれも高い評価を得ている。

    1999年12月マールボロ音楽祭のオーディションに合格し、1999年6月同音楽祭に参加し、デヴィット・ソイヤー、マーシー・ローゼン、ブルーノ・カニーノ各氏をはじめ多くのアーティストと共演を果たし、2000年の同音楽祭に再び招かれている。国内においては、沖縄ムーンビーチ、宮崎国際音楽祭、サイトウキネン勉強会、富山オーケストラ・アカデミー、石川県金沢ミュージック・アカデミーなどで研鑚を重ね、1999年6月、10月にはサントリーホールのフェスティバル・ソロイスツと、金沢の室内楽コンサートでは、ザハール・ブロン氏とも共演を果たし、いづれも高い評価を得ている。

    2000年以降は、札幌交響楽団、読売日本交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会、名古屋フィルハーモニー交響楽団定期演奏会などに招かれるほか、各地でリサイタルや室内楽のコンサートが予定されている。3月にはカザルスホールにて、初の自主リサイタルを行ない高く評価された。

    2001年には、アメリカを中心に活躍するアヴァロン弦楽四重奏団のチェロ奏者に抜擢され、同年8月にモーストリー・モーツァルト音楽祭において華々しいデビューを飾り、その後も多くの演奏会が予定されている。

    これまでに、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、読売日本交響楽団、東京都交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、京都市交響楽団、ブラッデル・シンフォニー、桐朋学園オーケストラと共演。

    また、2000年には、フィリップス(ユニバーサル ミュージック株式会社)よりデビューCDがリリースされ、2001年3月にも引き続き2作目をリリース、それぞれ好評を博している。

    ジュリアード音楽院を経て、インディアナ大学にて教鞭もとっている。

    大器の片鱗をうかがわせ、豊かな将来性に大きな期待が寄せられている。

  • アラン・ギルバート(指揮)

    アラン・ギルバート(指揮)
    2000年1月〜 ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団 首席指揮者 兼 アーティスティック・アドヴァイザー
    2003年〜 サンタフェ・オペラ音楽監督
    2004年〜 ハンブルク北ドイツ放送交響楽団の首席客演指揮者

    アラン・ギルバートはこのところ、同世代の指揮者の中で最も活動的で最も出演要請の多い指揮者の1人として頭角をあらわしている。2000年1月始めよりロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼アーティスティック・アドヴァイザーに就任し、幅広いレパートリーと確かな 洞察力に裏打ちされた情熱あふれる音楽性が高く評価されており、目覚しい活躍を繰り広げている。また、この格式ある地位に指名されたのは、ギルバートがこのオーケストラのマーラー・チクルスの一部を指揮してデビューし、大成功をおさめてから僅か1年後のことであった。近年では、2004年からハンブルク北ドイツ放送交響楽団の首席客演指揮者も兼任しており、高い評価を得て着実に歩を進めている。

    また、2002年からはサンタフェ・オペラの音楽監督も務め、オペラの分野でも意欲的な活動を見せている。
    共演したオーケストラは、北米では、ニューヨーク・フィル、ボストン響、シカゴ響、フィラデルフィア管、クリーヴランド管、ロサンゼルス・フィル、ミネソタ管、セント・ルイス響、シンシナティ響、ボルティモア響、アトランタ響、ヴァンクーヴァー響、コロラド響、それにセント・ポール室内管弦楽団と共演しており、どれも絶賛されている。同様にヨーロッパでも、ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管をはじめとして、ロイヤル・コンセルトヘボウ管、バイエルン放送響、ハンブルク北ドイツ放響、バンベルク響、マーラー・チェンバー・オーケストラ、スイス・ロマンド管、パリ管弦楽団、バンベルク響、バーミンガム市響、フランス国立リヨン管、トーンハレ管弦楽団、デンマーク及びフィンランド放送響と共演するなど活躍を続けている。更に定期的にNHK交響楽団を指揮するほか、東京交響楽団、札幌交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団とも共演している。また北京では中国放送交響楽団を指揮して全国放送を行った。

    アラン・ギルバートはニューヨークに生まれ、幼いときからヴァイオリンの勉強を始めたが、ニューヨーク・フィルのヴァイオリニストだった両親が最初の教師だった。その後勉強を続けて、高校時代にジュリアード音楽院予科クラスに参加した。優秀なヴァイオリニスト・指揮者であるギルバートは室内楽やソリストとして広く活躍し、フィラデルフィア管弦楽団では2年間客演ヴァイオリニストとして演奏した。1993年夏にはサンタ・フェ歌劇場管弦楽団のアシスタント・コンサートマスターをつとめた。

    ハーヴァード大学の学生時代、レオン・キルヒナー、ピーター・リーバーソン、アール・キムの各氏について作曲を学んだ。ハーヴァード時代はまた、ハーヴァード・ラドクリフ管弦楽団の副指揮者、ハーヴァード・バッハ協会管弦楽団の音楽監督をつとめる一方、ニュー・イングランド音楽院の潮田益子のもとでヴァイオリンの研鑽を積んだ。ギルバートは優等でハーヴァード大学BA学位を獲得、更にサドラー賞及びホルブリット音楽演奏賞を大学から授与された。

    大学時代の研究に引き続き、ギルバートはフィラデルフィアのカーティス音楽院でさらに指揮法をオットー・ヴェルナー・ミュラーについて勉強し、指揮アーティスト・ディプロマを獲得、またタングルウッドでは2度にわたり指揮者奨学金を与えられた。1994年5月、ジュリアード音楽院より音楽修士の学位を授与された。ジュリアードではミュラー教授のもとで更に研鑽を積み、ジュリアード予科クラス・オーケストラの指揮者をつとめた。
    1994年、ギルバートの音楽家としての才能・技量が広く認められるところとなり、2年に一度若い有望な指揮者に与えられる全米交響楽団連盟ヘレン・M・トムソン賞をはじめ、指揮者として名誉あるこの他の賞を数回受賞した。1994年9月、スイス・ジュネーヴの国際音楽コンクールで優勝、同時にスイス賞も受賞した。また文化村オーチャード・ホール賞、ゲオルク・ショルティ賞も受賞し、マエストロ・ショルティから1週間指導を受ける機会が与えられた。

    ギルバートは1994年クリーヴランド管弦楽団の指揮スタッフに指名され1995年から97年まで副指揮者の地位にあった。この期間ギルバートは定期公演とファミリー・コンサートを定期的に指揮し、また夏にはオーケストラと共にブロッサム・フェスティヴァルに出演した。1996/97年のシーズンの終わりと共に5年間のニュー・ジャージー州ハッドンフィールド響音楽監督の契約を終了した。

    1997年7月、ギルバートはシーヴァー・ナショナル財団指揮者賞を贈られた。
    この賞は3年ごとに、特に優れた才能を持つアメリカ人指揮者に与えられるもので、全米のメジャー・オーケストラのマネージャーや指揮者で構成する権威ある委員会が選考に当たっている。
    近年では教育的活動にも力を注ぎ、教育的音楽セミナー「ミュージック・マスターズ・コースinかずさ」を盟友である指揮者大友直人と毎年開催するなど、活発な活動を行っている。