第22回 齋藤秀雄メモリアル基金賞
「齋藤秀雄メモリアル基金賞」2002年創設時の選考委員であり、2021年度より名誉顧問の小澤征爾氏が、2024年2月6日に逝去されました。
当賞に於いて若手チェリスト、指揮者の発掘、育成に多大なるご貢献をいただきました氏のご逝去を悼み、謹んでご冥福をお祈りいたします。
公益財団法人ソニー音楽財団は、第22回(2023年度) 齋藤秀雄メモリアル基金賞 チェロ部門受賞者を 上村 文乃(かみむら・あやの)氏、指揮部門受賞者を杉山 洋一(すぎやま・よういち)氏に決定いたしました。
贈賞式はライブ配信もあわせてとりおこないました。
- 受賞者
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上村 文乃(チェロ)
杉山 洋一(指揮) - 名誉顧問
- 小澤 征爾 氏(指揮者)
- 選考委員
<選考委員長>
水野 道訓(ソニー音楽財団 理事長)<永久選考委員>
堤 剛 氏(チェリスト)<任期制選考委員(3年)>
柴田 克彦 氏(音楽評論家)
沼尻 竜典 氏(指揮者)
吉田 純子 氏(朝日新聞 編集委員)- 賞
●楯
●賞金 当該年毎に1人500万円(総額1,000万円)
贈賞の言葉
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上村 文乃 氏へ「贈賞にあたり」
永久選考委員 堤 剛【贈賞の言葉】
上村さんは卓越したチェリストであり、素晴らしい音楽家ですが、私はそれ以上に彼女の人間としてのスケールの大きさ、幅広さに魅了されます。高校生の頃から飛び抜けた才能で注目されていましたが、その後の並大抵ではない努力と研鑽により、大きく開花されました。それは毛利伯郎、アルト・ノラス、イヴァン・モニゲッティ、そしてクリストフ・コワン氏等の名伯楽に恵まれたことも大きいと思います。
今や大活躍中で、それもバロックチェロを用いたバッハ等の作品から、現代曲まで本当に幅広いレパートリーをこなしておられます。モダンチェロのための作品もソロ曲からソナタ,小品などに加え、オーケストラとの協演でも素晴らしい力を発揮されています。特筆されて良いのは室内楽奏者としての能力でしょう。お人柄の故もあって仲間から好かれ、一緒に何かを作り上げていく力量があることです。しかもこれだけの作品群を唯上手に、美しく演奏するだけでなく、説得力があるものにしているのは、上村さんが単なる器楽奏者という位置にあることに甘んじず、常により素晴らしく、より内容があり深みのあるものを作り上げて行こう、という強い向上心があるからだと思います。
彼女は今ではBach Collegium Japan にとって掛け替えのない存在です。彼女の実力に対しての高い評価は鈴木雅明氏、優人氏のお二人が証明して呉れています。演奏技術そのものが卓越しているだけでなく、スタイルや歴史性を良く学び、それが音として実現されているだけでなく、それを生かした演奏解釈上の弾き分けも見事なものです。
私は上村さんはこれからのチェリストのあるべき姿を打ち立てて行く力の持ち主であると信じています。しかも責任感が強く、他の人の事を親身になって考えて上げられる人間的な幅広さ、やさしさを兼ね備えていて、それが演奏にも反映されています。
音楽芸術に対する献身力は並大抵ではありませんし、加えて全てに純粋で、リーダーシップの能力もあり皆に頼られる頼もしさも持っておられます。
これからはその幅広い経験、卓越したテクニック、豊かな音楽性を教育の面でも生かし、次世代のチェリストを導いて行って欲しいと思います。学ぶものにとってそこで得るものは真に大きいものがあり、その意味でも上村さんは良いお手本だと思います。
【贈賞式でのスピーチ】
上村さん本当におめでとうございます。齋藤秀雄先生という大変な先生の名前を冠した素晴らしい賞を受けられたことは、本当に私にとっても大変素晴らしいことだと思っておりますし、上村さんの最近の本当に卓越した素晴らしい内容をもった活動が皆様から認められてこの賞に至ったと思います。個人的にもう一つ嬉しいことがありまして、この500万円という素晴らしい額の賞金なのですけれども、私はいつも上村さんがチェロのケースを2台、そして大きなスーツケースを抱えて走り回っていらっしゃる様子を見て大変だなと、女性一人でよくできるなと思っておりました。ですからこの賞金はそれを少しでも軽くできるような風に使っていただけたらいいのではないかと思っております。ここまでに至る上村さんのご努力、ご研鑽、それから素晴らしいご経験・ご体験は本当に幅広く、いつも尊敬の眼差しで見ております。上村さんの受賞の言葉にも書かれておりますけれども、厳しい時もあったと思いますし、色々な意味でご苦労なさったのではないかなと思います。
上村さんは私が高校生の頃から存じ上げております。その頃から本当に抜きん出た素晴らしい才能だと思っていましたけれども、選ばれた道そのものは決して楽ではなかったのではないかなと思っています。そういう色々なご経験をされたことが今になって実を結んできたことを、上村さんを長く見ていた一人として大変嬉しく思っております。
ある時、Hakuju Hallでモダン・チェロでリサイタルをなさっていて、本当に素晴らしい演奏でした。私が一番嬉しかったのは、上村さんが吹っ切れたようなものをそこで示してくださったことです。音楽をするということが、何か本当の自由さをもったクリエイティブアクティビティという感じがして、いいなと思いました。それに最近のバロック・チェロでのバッハ・コレギウム・ジャパンにおける本当に躍動感あふれる素晴らしい演奏は、音楽をする歓び、音を出す前から「何かが起きるのではないか。」というような期待感を持たせる素晴らしい雰囲気を持っていらっしゃいます。勿論モダン・チェロもバロック・チェロも素晴らしい音を持っていらして、本当にいいなと思っております。ドイツ語で”musizieren”(ムジツィーレン)という言葉があります。上村さんはただ音楽をするだけではなくて、全体を包んでくださる、それが上村さんの体から自然に溢れている。何かそういうある意味での素晴らしい存在感があります。
上村さんはいつも霧島国際音楽祭に来てくださっているのですけれども、ある時、私の演奏を聴かれた後楽屋に来られて、涙を浮かべながら私の演奏を喜んでくださったんです。私はそれを聞いて、とても純粋で音楽の歓びというものを体現なさっていらっしゃる方だなと感じました。勿論「素晴らしかった」と言われたことも嬉しかったのですけれども、それ以上に人間から人間への魂のようなものを受け継がせていただきまして、私としても本当に感動いたしました。
これから本当に上村さんは人間としても音楽家としても芸術家としても新しい世界を切り拓いていかれる方だと思っており、私としましても大きな期待を持っております。これからは一般的、社会的なことも含めて今までの上村さんの素晴らしいご経験なりご体験なり、色々なものを今度は次世代の方に伝え続けていっていただきたいです。そのようにしてこの世界をもっともっと素晴らしいものにしてくださるお力を上村さんはお持ちだと思いますし、私としてはそういう期待を寄せています。この度は、本当におめでとうございました。 -
杉山 洋一 氏へ「贈賞にあたり」
選考委員 柴田 克彦(音楽評論家)/ 沼尻 竜典(指揮者)/ 吉田 純子(朝日新聞 編集委員)【贈賞の言葉】
杉山洋一さんのお名前は、作曲家として知っているという人の方が多いかもしれません。桐朋学園大で三善晃に師事し、今はミラノのクラウディオ・アバド音楽院で教鞭をとっています。指揮者としての活動が、常に作曲家、オーガナイザー、プロデューサーといった営みとおのずと表裏一体になっており、たゆまず音楽界を循環しているのが杉山さんという音楽家の独自性です。
ハインツ・ホリガーやエサ=ペッカ・サロネンら、指揮の仕事を自身の音楽活動の一角としている人は、今や少なくありません。むしろオリヴァー・ナッセンのように、作曲との両輪で独自の創造領域を広げていった人に、杉山さんは近いのかもしれません。
なかでも杉山さんが特別なのは、同じ時代を生きる作曲家や演奏家への「献身」が、指揮も、作曲も……という全方位的な活動の礎になっているということです。自我にもとづく想念としての創造活動とは、杉山さんはほぼ無縁です。今の人々に「届けるべき音楽」を厳選し、それを伝える技術を自らに課す。ストイックでもあり、まただからこそ、商業主義全盛の今の時代において、極めて稀な自由を携えている人でもあります。
NHK交響楽団の「Music Tomorrow」など、新作初演の公演に杉山さんの名前があると、それだけで安心感を覚えます。作品に向き合うということは、作曲家の人生そのものに向き合うということ。杉山さんの誠実な指揮ぶりは、そうした理念を常に体現しています。
2021年には東京ニューシティ管弦楽団(現パシフィックフィルハーモニア東京)と、現代イタリアの音楽の色とりどりの風景に目を開かせてくれました。芥川也寸志サントリー作曲賞では、最終選考に残った自身の曲を自ら振るという、珍事のようなことも起きました。若手の曲ではどうしても野心が逸って饒舌になったり、作為が前面に出すぎたり……ということが起きえます。杉山さんの指揮はいつも、作曲家の意図を汲みつつ適切な距離をとり、未熟であってもそれぞれの美質を最大限花開かせようとする、実にヒューマンなものです。一流の芸術家は一流の職人でもある。そうした杉山さんの指揮そのものから、若い作曲家は審査の結果以上に多くの学びを得ているに違いありません。
松平頼暁、高橋悠治、湯浅譲二といった同時代の巨人の本質に、ここまで好奇心をむき出しにして挑んでゆく指揮者もそうはいないでしょう。とりわけ、ニューヨーク公共図書館などに自ら足を運び、世界に散逸した高橋悠治の作品を集め、日本を代表する精鋭奏者たちに声をかけて実現した「高橋悠治作品演奏会Ⅰ『歌垣(kagahi)』」(2018年、東京オペラシティリサイタルホール)の熱量はすさまじいものでした。
「良い音楽をつくる人が、良い人間であるとは限らない」と言ったようなことが、クラシックの世界ではまことしやかに語られます。実際、音楽史にはそうした「奇人変人」伝説が満載です。しかし現実的に、作曲家や演奏家といった多くの人々を歌わせる指揮者という仕事において、ただ棒さばきだけが卓越し、「人間性」が置き去りになっている演奏に、真の感動を覚えることがあるでしょうか。そうした芸術家に対するある種の特権意識が、クラシックというものの本質を一般の人々に見失わせているという側面もあるのではないでしょうか。
様々な演奏家をつなぐ触媒となり、新時代のアートの胎盤をつくる仕事に誰よりも心血を注ぎ、利他の心を礎とする杉山さんの指揮活動は、とても見えづらくはあるけれど、音楽界に確かな地殻変動を起こしつつあります。「人間性」こそが、これからの時代のクラシックの「核」となる。そういうメッセージを、杉山さんという存在に光を当てることで伝えることができると、私たちは考えます。それは、音楽と社会の関係をいま一度問い、結び直していきたいという私たち自身の決意を示す、新時代に向けてのメッセージでもあります。
【贈賞式でのスピーチ】(吉田純子選考委員)
杉山さん、おめでとうございます。杉山さんとこの賞の関わりというのを考えていて、ふと思い出したことがあります。杉山さんは小さい頃、「ヴァイオリンの天才少年」と呼ばれていて、TBSの『オーケストラがやって来た』という番組で特集が組まれたことがあるんです。山本直純さんが企画と司会をしていたのですが、山本さんの親友でいらした小澤征爾さんもこの番組によく出ていらっしゃいました。杉山さん、あのとき何歳でしたか? 11歳、だそうです。
私はDVDで観たのですが、本当に子供という印象でした。その「天才少年」が、40年を経ていろんな歩みを重ね、たくさんの学びを得て、きょうこの場にいらっしゃるということをとても感慨深く思います。
もうひとつ、杉山さんが桐朋学園大で、三善晃先生のお弟子さんでいらっしゃったということも言っておきたいです。池辺晋一郎さん、今回の選考を一緒に務めてくださった沼尻竜典さん、新垣隆さん、本当に多様な個性の持ち主が三善さんのもとから巣立ちました。三善さんは本当に素晴らしいエクリチュールを持っていましたが、お弟子さんたちに「こうしなきゃいけない」というようなことは決して言わなかった。杉山さんの独自性も、そうした三善さんの指導のもとで花開きました。比較的早い時期にイタリアに渡り、作曲、指揮、プロデュースとさまざまな方面で活躍されていますが、単にいろんなことがしたくてやっているというのではなく、その全てがひとつの同じ信念の核から出ている、というところが素晴らしいと思っています。私自身、新聞記者という仕事をしていながら、杉山さんの仕事の全貌が見えにくく、この方は一体どういう方なのか…という風に、実はずっと思っていました。ずっとイタリアにいらっしゃるので、なかなか日本で活動を見ることができなかったというのもあります。それでも、NHK交響楽団のMusic Tomorrowや芥川也寸志サントリー作曲賞の本選などでの指揮台に杉山さんが立っておられると、非常に安心するものがありました。私だけではなく、奏者たちも、お客さまたちも、きっとそうなのだろうと思います。
杉山さんは、棒振り一本であちこちのオーケストラを渡り歩き、自らの個性を強く示すというタイプではないかもしれません。先ほど理事長が「議論があった」とおっしゃいましたが、その通りで、杉山さんという人は恐らく、齋藤秀雄メモリアル基金賞のこれまでの受賞者の中でも、かなり新しいタイプの方ではないかという風に感じます。
私が杉山さんにこの賞を受けていただきたいと思ったのには、理由があります。芸術は、必ずしもエンタテインメントばかりではありません。最近でいえば、セバスティアン・ヴァイグレさんと読売日本交響楽団によるアイスラーの「ドイツ交響曲」や、井上道義さんがNHK交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団と演奏したショスタコーヴィチの「バビ・ヤール」などがそうでした。見たくないもの、言葉ではとても言い尽くせないものをこそ、音楽は表現します。
でも、それでも私は、音楽というものは最終的には人の幸福に向かっていかなければならないものだと思っています。杉山さんは、ご自身が主役になることより、松平頼暁さん、高橋悠治さん、湯浅譲二さんといった大家たちの知られざる楽曲を集め、若い奏者たちを集め、それらをきちんとしたクオリティの演奏で残すということに情熱を傾けておられます。いろんな世代を縦に繋ぎ、さらに、演奏家たちと聴衆を横に繋ぐ。このことで、杉山さんはいろんな人を、本当に幸福にしてきました。これが指揮者という仕事の、今の時代に求められる本質だという風に、私は心から思います。
最近テレビで「さよならマエストロ」というドラマが始まったので、何となく観ていたのですけど、西島秀俊さんが演じられる指揮者が、団員みんながカリカリ怒っていても動じることなく、ニコニコしながらうまく別の発想を提案し、みんなに幸福をもたらしていくっていう、これまでとはちょっと違うタイプの指揮者像として描かれているんですね。人をこうやって柔らかく率いていくのが、今という時代のリーダーの理想像であるならば、杉山さんこそがそういう人だと私は思います。つまり、曲を書いた人も、それを演奏する人も、それを聴くお客さまも、みんなをそれぞれの幸福の方向へと導いてくれる人なのではないかと。そういう方にこの賞を差し上げるということは、私たち選考委員からの「音楽で、こんな社会をつくりたい」というメッセージでもあります。
音楽家は、時には厳しい時代の現実にも対峙しなければいけません。でも、実際に何かを伝えるときは、人の心を慮る優しさを決して忘れずに。そういった人間性の核をしっかりと持っている杉山さんという存在に、いま正しく光が当たることには、大きな意義があると思います。
選考委員の一人としてのみならず、私自身の同世代の星でもある杉山さんの今後の飛躍のために賞を差し上げることができたということを、とても嬉しく思います。このたびは本当におめでとうございました。
受賞の言葉
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上村 文乃(チェロ)
【受賞の言葉】
この度は、権威ある齋藤秀雄メモリアル基金賞をいただくことになり、大変光栄に思っております。ありがとうございます。
私の人生に、偶然チェロという楽器が与えられ、『何事もやるからには一生懸命に』がモットーの両親に支えられながら、より良くする為にどうしたら良いかを常に考えてきました。
現在私は、バロックチェロとモダンチェロ、2つのチェロを手に活動するようになりました。古楽の道へ入ったきっかけは、自分のなかで音楽をすることに対して疑問や矛盾を感じたからです。
演奏家にとって、音を出す事(=自己表現)と、音楽をする事(=作曲家の想いを伝える橋渡し)は異なるということを感じていないといけないと思っています。どちらの役割が突出しても、それはある種エゴであったり、むしろ音楽を利用した身勝手な表現になってしまうのではと思っています。
7年間の留学生活で沢山の壁にぶつかる中、一時期は悩み過ぎて、どのように演奏したら良いのかわからなくなったり、私は演奏家という立場は合っていないのではと真剣に考えた事もありました。
そんな中、光を与えてくれたのが古楽でした。
私にとって古楽で表現する事は、作曲家自身に近づくことのできるひとつの形であり、音楽をより血の通った生きものとして触れられるようになりました。遠く離れた存在の作曲家でも、こちらからその世界へ寄り添うことで、より身近なものとして音楽が身体の中に染み込んでくるように感じました。
古楽を始め当時の文献等を読むようになりましたが、ある本には、装飾音や倚音、またアーティキュレーションについてを、愛情や喜び・優しさを表現するためのものと書かれていて、なんて尊いことなのだろうと涙が出るほど感動したことを覚えています。
バロックチェロを弾くようになってから、自分が自由になり、なにかこの世界にこの想いを伝えたいと心が羽ばたいていくのを感じます。そしてなにより、モダンチェロに帰ってくると、より楽器や作品への深い愛情を感じられるようになりました。
私にとってチェロを弾くという行為は、自分の生きる意味の模索であり、社会や人と繋がるツールなのかもしれません。演奏家にとって音で表現するということは、その人の生き方の表れであり、言葉を介するよりも、より嘘偽りのないものになると思っています。
いま私の夢は、音楽が人と人のコミュニケーションのひとつとなり、演奏会に行くという体験がより日常と化し、社会のなかで必要不可欠と定義されるようになることです。
齋藤秀雄先生は、私は直接お会いすることは叶いませんでしたが、出身校である桐朋学園でも日々先生方から齋藤先生の伝説的なエピソードを伺い、とても人間的で、生徒想いで実直な方だったと伺っています。また、齋藤先生が、クレンゲル先生、フォイアマン先生の教えを受け継ぎながら独自に試行錯誤なさり、常により良いものへと変化し続けられた御姿勢、またお弟子さんたちに今もなお伝えられる愛ある厳しさは、音楽家・教育者の鏡、そして1人の人間として改めて偉大な方と尊敬し、私の中にも齋藤先生の哲学が浸透してきているのではないかと感じます。
まだまだ未熟ながら、このような大変な賞をいただき、戸惑いとともに、日々の行いを見守ってくださっている方がいることを感じ、更に積極的に活動していきたいと身を奮い立たせています。
ここまで育ててくださった先生方、アドバイスをくれた友人、ずっと応援してくださっているファンのみなさま、そして家族。私の人生を支えてくださっている全ての方に、ありがとうございますと言葉を伝えたいです。
一つ一つの音に慈しみを持ちながら、私の音が、みなさまの耳へ美しい音楽として昇華させることができたらと願っています。【贈賞式でのスピーチ】
ただいまご紹介いただきましたチェロの上村文乃と申します。この度は大変名誉ある『齋藤秀雄メモリアル基金賞』の受賞者に選んでいただいて、本当に光栄に思っております。ありがとうございます。齋藤秀雄先生は私の母校である桐朋学園を創設された方であり、私を育ててくださった先生方の先生ということもあり、本当に偉大な方だったと存じ上げております。そんな齋藤秀雄先生のお名前のついた音楽賞をいただくということは本当に恐縮の極みといいますか、大変光栄だと思っておりますが、この賞をいただくことによって、いつも私の活動を見届けてくださっている方、そして演奏会場に足を運んでくださるお客様へ少し恩返しのかたちがとれたのではないかと思っております。本当にありがとうございます。
また、私を、そしてチェロの人生を導いてくださった先生方は沢山いらっしゃいます。手ほどきしてくださった熊澤雅樹先生、井上雅代先生。音楽の素晴らしさを教えてくださった毛利伯郎先生。そして音楽の素晴らしさを、そして世界に羽ばたく道を作ってくださった堤 剛先生。また、留学先の師匠であるアルト・ノラス先生、イヴァン・モニゲッティ先生、クリストフ・コワン先生。本当に沢山の素晴らしい先生に恵まれて今こうしてこの場所に立つことができているということを、ひしひしを感じております。
私は現在、堤先生が仰ってくださった様にモダン・チェロと古楽奏法であるバロック・チェロの2台のチェロを持って活動しております。バロック・チェロにおいてはバッハ・コレギウム・ジャパンという、日本のみならず世界で権威のある本当に素晴らしい古楽団体で通奏低音のパートを弾かせていただいておりまして、そこでもメンバーの方々にいつも色々なことを教えていただきながら、まだまだ奮闘中です。また、モダン・チェロにおいては学生時代から積み重ねてきた方々とのご縁が重なって演奏の機会をいただいています。もう15年以上毎年通わせていただいている霧島国際音楽祭では地元の方からも声をかけていただくことも多く、「文乃ちゃん大きくなったね。」なんていつも声をかけてくださるのが、自分の音楽の力になっているなというのをすごく感じており、時の流れは早いものだな、とも感じております。
私にとって演奏活動をするということは「聴いてくださる皆様に喜んでいただくこと」、それが一番のことだと思っております。昔から続けてきたモダン・チェロと最近になってから始めたバロック・チェロ、この2台のチェロを操っていると何か自分の中に迷いが生じてしまうという時もありました。しかしそんな時にその答えを導いてくださったのが堤先生のお言葉でした。霧島の音楽祭で先生とお話ししていた時、「迷いがある。どうしたらいいか。」というご相談をした時に先生が仰ってくださったのが「過去を変えることはできないし、変えることもないんじゃない?」とすごく笑顔で仰ってくださいました。何気ない先生の一言だったのですが、私にとってはすごく大きくて、それによって考えると、私の中で表現したいことは『チェロで、楽器で何かを表現する』ということではなくて、もう少し広い目で、『生きた芸術を皆さんに楽しんでいただいて、それを多くの方と分かち合いたい』、そういう気持ちが自分の中にあるのだということに気付かされました。それ以来私の活動はより多岐にわたるようになりました。近年では現代音楽においてご存命の作曲家の方と新しい作品に取り組んだり、リサイタルを行う際も自分自身で考えた演出をつけたり、また今年に入ってからは古楽の演奏会で、室内楽だったり協奏曲の弾き振り、最後には合奏の指揮者として恥ずかしながらステージの上に立たせていただくこともしました。
先ほど堤先生が”musizieren”(ムジツィーレン)という言葉を仰ってくださいましたが、私の中に”musizieren”というものが生まれたのはきっと堤先生のお言葉からなのではないかと、今すごく感じております。齋藤秀雄先生の生前のインタビューで物事を進めるには3つ大事なことがあるという言葉を聞きました。一つは好きであるということ、二つ目は理解するということ、三つ目にその理解したものを出来るようにするということでした。とてもシンプルなことなのですが、先ほど私の活動は多岐にわたると申し上げましたように、人は色々なことを始めると、そのことを理解して出来るようにするということは真の意味で言うととても困難なことなのではないかなと思っております。しかしながらこうして沢山の先生に色々なアドバイスをいただいて、迷いもありつつも自分の信じた道を突き進んで行くことで、きっと今同じ時代に生きるお客様に幸せな時間を与えていけるようになるのではないかと心の中で強く信じながら、演奏活動をしていけたらいいなと思っております。またこの経験を胸に、若い世代にも何かお役に立てるような、力になれるような存在になれたらいいなと強く願っております。
改めまして、齋藤先生の賞をいただくことができ、本当に光栄に思っております。私がもし道に迷っている時は、どうぞ何かアドバイスをいただけたら大変光栄です。これからもご指導ご鞭撻の程、本当によろしくお願いいたします。本日は本当にありがとうございました。
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杉山 洋一(指揮)
【受賞の言葉】
この度は栄えある齋藤秀雄メモリアル基金賞に選出いただきましたこと、心よりお礼申し上げます。お話をいただいたときは、おどろくばかりでしたが、今はただみなさまのお心遣いに心より感謝しております。本当にありがとうございます。
振り返ってみれば、とても幼いころよりずっと齋藤先生の教えに触れてきたと気が付きます。幼少より篠﨑功子先生のもとでヴァイオリンを学んでいたので、齋藤先生のお人柄、音楽教育について折に触れて伺っておりましたが、小学校にあがってほどなくして仙川の音楽教室に通い出してからは、実際に先生の音楽教育の神髄を身をもって体験する機会に恵まれました。ソルフェージュやアンサンブルなどを通した齋藤先生の音楽教育とその理念が、高校で作曲に転科以降も、大学研究科修了まで自らの音楽の根底を育んでくださったのです。
子供のための音楽教室で、最初は優しいソルフェージュの先生として出会った岡部守弘先生は、齋藤先生の右腕の名教師ですが、岡部先生に指揮の手ほどきをうけたことで、今現在の自分があるのでしょう。
岡部先生が指揮を教えてくださるだけでなく、ソルフェージュのまったく苦手な自分のような落ちこぼれ小中学生に、親身になって情熱的に音楽を好きにしてくださった利他的なお姿に、在りし日の齋藤先生のお姿を重ね合わせておりました。
先生方には足元にも及びませんが、イタリアでは指揮の手ほどきとともに、幅広く若者の基礎音楽教育にも関わっております。どうしてもそれを手掛けたかったのは、齋藤先生の音楽教育を献身的に伝えてくださる岡部先生の後姿が忘れられないのと、その音楽教育の素晴らしさを、折に触れ実感しているからです。
改めて思い返しますと、人生ほんとうに掛け替えのない一期一会が連なって自分が生かせていただいていて、ここに到底書ききれない、お世話になった先生方への感謝ばかりが募ってまいります。
曲がりなりにも自分も作曲に携わっているために、作曲者が作品にこめる情熱を自分事として受け入れられることが、おそらく今回このような栄誉ある賞をいただくきっかけになったのかも知れません。今後とも先生方から受け継いだ音楽と情熱を大切にして、ますます精進を続けてゆきたいと思います。
【贈賞式でのスピーチ】
吉田さんからのお話、本当に心に沁みました。ありがとうございます。私にとってかけがえのないお言葉だと思いました。そしてこのような素晴らしい齋藤秀雄メモリアル基金賞という栄誉ある賞をいただきましたことを、本当に光栄に存じます。ありがとうございます。選考委員の皆様に重ねて厚くお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございます。今皆様から本当に素晴らしいお話を沢山いただき、自分は何が言えるのかなと思いながらお話を伺っておりました。
もしかしたら皆様同じように思われるかもしれないのですけれども、もし自分に一つとても恵まれたことがあると自覚しているものがあるとすれば、それはやはり生まれてから今まで本当に素晴らしい人々との出会いがあり、それがずっと今まで続いているということです。まず最初にいつも私がどんな時であっても励ましてくれる自分の家族、また常日頃こうした仕事をしていく上でいつもサポートしてくださる皆様が周りで助けてくださっていて、よって自分はここにいるんだなという風に今この壇上に立って改めて自覚しております。それに対しての感謝も新たにしております。そうした皆様は勿論なのですけれども、本当に小さい時から今まで出会ってきた音楽家の皆さん、先生方、若しくは音楽家じゃないけれども僕の周りにいて力を貸していただいた様々な人達に、本当に恵まれてここまでやってきたと思っています。
音楽というのはやはり人と人とを繋ぐものではないかと思いますし、人が人を信じられるようにする、信じることによって、そして人と人とが触れ合って生まれるものが音楽なのではないかという風に思っています。吉田さんも仰っていましたけれども、しばらく前のコロナ禍で、世界の人々が文字通り音楽を希求するような時代が確かにありました。これから先どういう風に我々が新しい音楽を新しい世界と共に創り上げていけるのだろうと少し希望を持っていた時に、ご存知の通りの世情が世界を覆っていたわけですが、それだけではなく、今年は国内でも年頭から我々の悲しみを新たにするようなことが起きましたし、それが今も続いています。そういう中で、人と人とを繋ぐ意味や自分が音楽をする意味というのは一体何なのだろうという風に日々自問自答しております。
私は指揮と作曲という、基本的に何故か自分で演奏をしない役柄が多いのですが、そうなると自分では音を出さないし、自分で音楽を創ることはない訳ですね。せめて出来ることといえば人と人とを繋ぐ、そういうことしかできない。少なくとも自分にとってはそうだと思っています。そして人と人とが繋がった時、そこにはやはり、無意識ではないのでしょうけれども、一種の化学反応のようなものが起きて、そこにはエネルギーが生じて、そのエネルギーが音楽を立ち昇らせていくのだと思っています。そうした瞬間を日々演奏家の方々を前にして、その音楽が立ち昇っていく様子を目の当たりにすると、非常に感動を覚える。何度そういう経験をしても、本当に毎回ただただ彼らに感動をするばかりです。
自分の目の前にいる演奏家の方は、一人ひとりが皆違う個性を持っていて、一人ひとりがそれぞれ素晴らしい演奏家であって、皆さんがある一つの音楽を共有して、その共有している音楽を共に希求しようとしている時に生じる言葉では表現できない何か、それが音楽なのではないかなと思っております。そういう意味で、音楽をただするだけではなくて、音楽というのはこんなものだよという風にでもなくて、まず人間としてどういう風に生きていかなければいけないのか、ということを、教えてくださった先生方や音楽家の方々、そして僕の周りで常に支えてくださった方々、様々な方々の助けを得て、理解できるようになったと思っています。
そういう意味において齋藤秀雄先生の教育理念や音楽家としての姿勢というのは、本当に私にとって理想的な方でいらしたと思います。僕も齋藤秀雄先生に直接習うことは世代的になかったですけれども、文字通り自分が幼い頃から僕に道筋をつけてくださった先生方は、常に齋藤先生のお話をしてくださっていたので、改めて自分の内に深く齋藤先生の音楽が根付いているなという風に実感しています。
この素晴らしい賞をこのタイミングでいただいたというのは、今まで私を幼い時からずっと支えてきてくださった様々な皆さんが「これからはお前は責任をしっかりと感じて、私達がお前に伝えようとしてきたことを、今度はお前がこれからも伝えていってくれよ。」というような励ましといいますか、そういう気持ちを本当に近くで感じています。それで本当に感動しています。このような素晴らしい機会をいただいて、そこから英気を充分にいただいて、それを糧に、本当にこれからまだまだではございますけれども、精進を続けていきたいと思っております。ありがとうございます。
プロフィール
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上村 文乃(チェロ)
6歳よりチェロをはじめる。
桐朋女子高等学校(音楽科)卒業後、桐朋学園大学ソリストディプロマコース、ハンブルク音楽演劇大学、バーゼル音楽院、スコラカントゥルムバーゼル(古楽科)にて学び7年間の留学を終え2020年に帰国。
第5回東京音楽コンクール弦楽部門第2位。第4回ルーマニア国際音楽コンクール弦楽器部門第1位およびルーマニア大使館賞受賞。第80回日本音楽コンクール第2位。第65回全日本学生音楽コンクール大学の部第1位および日本放送協会賞受賞。イタリアトレヴィーゾ国際音楽コンクールにて優勝。2022年に第23回ホテルオークラ音楽賞受賞。第2回インディアナポリス国際バロックコンクール優勝。
ヤマハ音楽振興会、ジェスク音楽振興会、明治安田クオリティオブライフ海外音楽研修生助成、ロームミュージックファンデーション、文化庁新進芸術家海外研修制度より奨学金を授与される。
これまでに東京フィル(小林研一郎)、読売日本交響楽団(下野竜也)、名古屋フィル(大友直人)、京都市交響楽団(鈴木優人)、ワロニー王立室内管弦楽団(フランク・ブラレイ)、バーゼル交響楽団(クリストフ・ゲトショルド)等と共演。深澤亮子氏、徳永二男氏、樫本大進氏等の世界的な演奏家と室内楽を共演。また、霧島国際音楽祭、宮崎国際音楽祭、北九州国際音楽祭、東京・春・音楽祭、仙台クラシックフェスティバル、ル・ポン国際音楽祭、アスペン音楽祭(アメリカ)、ピアティゴルスキーチェロフェスティバル(アメリカ)、チェロビエンナーレアムステルダム(オランダ)、モニゲッティ&フレンズ(スイス)等に出演。TV朝日「題名のない音楽会」、NHK-FM「クラシックサロン」、NHK-Eテレ「おんがくのおもちゃばこ」等に出演。
チェロを熊澤雅樹、井上雅代、毛利伯郎、堤剛、アルト・ノラス、イヴァン・モニゲッティ、ソル・ガベッタの各氏に、室内楽を原田幸一郎、徳永二男、クァルテット・エクセルシオの各氏に、古楽奏法をクリストフ・コワン氏に師事。
サントリーホール室内楽アカデミー第一期生。古楽アンサンブル「ムジカ・アミチ」創立者。
トリパルティ・トリオ(Vn米元響子、Pf菊池洋子)やバッハ・コレギウム・ジャパンのメンバーとしても活躍中。オーケストラとの共演や国内外での室内楽での演奏も高く評価されている。モダンチェロの演奏にとどまらず、ピリオド楽器を用いた歴史的演奏法にも取り組み、双方において第一線で活躍の場を広げる稀有なチェリストである。
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杉山 洋一(指揮)
1969年東京生まれ。桐朋学園大学作曲科卒業。指揮をエミリオ・ポマリコ、岡部守弘に、作曲を三善晃、フランコ・ドナトーニ、サンドロ・ゴルリに師事。
これまでに指揮者としてNHK交響楽団、東京都交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、アレーナ・ディ・ヴェローナ管弦楽団、ボローニャ・テアトロ・コムナーレ管弦楽団など、日欧各地のオーケストラ、アンサンブルと共演。またウィーン・モデルン、パリの秋、ミラノ・ムジカ、ベルリン芸術アカデミー、サントリーホールサマーフェスティバルなどの音楽祭に参加。とりわけ現代音楽の分野で活躍がめざましく、クラングフォルム・ウィーン、リミックス・アンサンブル・カーサ・ダ・ムジカ(ポルトガル)、カンマーアンサンブル・ノイエ・ムジーク・ベルリン、アルター・エゴ(ローマ)をはじめとする数々の現代音楽グループと共演している。携わった主な劇場作品に「プロメテオ」(ノーノ)、「ファルスタッフ」(ヴェルディ)、「魔笛」(モーツァルト)、「クラーネルグ」(クセナキス)、「チョムスキーとの対話」(カザーレ)、「碁の名人」(メルキオーレ)、「大鴉」(細川俊夫)、「飛行する宙づりの時間」(サーニ)、「上司に対する賃上げ交渉の芸術と方法」(モンタルティ)、「盗まれた言葉」(ベッタ)など。
作曲家としてはこれまで、ミラノ・ムジカ、ヴェネチア・ビエンナーレといった芸術祭をはじめ、国内外のアーティストから多くの委嘱を受けている。
オーガナイザー、プロデューサーとしての実績も豊富で、高橋悠治作品演奏会I「歌垣」(2018)、同II「般若波羅蜜多」(2019)、松平賴暁のオペラ《The Provocators~挑発者たち》(2018)、フェニーチェ堺のオープニングシリーズ「武満徹ミニフェスティヴァル」(2019)などの企画に携わり、いずれも指揮も担当した。2024年10月上演予定の神奈川県民ホール開館50周年記念オペラシリーズVol.2 オペラ《ローエングリン》(シャリーノ)においては制作段階から関わり、指揮者としても出演が決定している。
指揮者として、2018年芸術選奨文部科学省大臣新人賞受賞。作曲家として、第13回佐治敬三賞第2回一柳慧コンテンポラリー賞受賞。2010年サンマリノ共和国サンタアガタ騎士勲章受勲。また、ドナトーニ最晩年に杉山が補筆完成したオーケストラ作品「Prom」「Esa」を含むCD「ドナトーニ: 管弦楽作品集」(杉山洋一指揮、東京フィルハーモニー交響楽団)が2015年度イタリアAmadeusディスク大賞受賞。
1995年にイタリア政府から作曲奨学金を得て以来ミラノ在住。現在、ミラノ市立クラウディオ・アバド音楽院で教鞭をとる。